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海軍士官短剣用刀身(登録証付本身、「皇國興廃在此一戦」の彫、在銘: 三笠砲鋼秀明)【85/86】 |
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価格(税込)
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\495,000 |
商品番号
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【10076】 |
カテゴリー
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旧日本帝国軍装品(無可動銃付属品以外) |
国 名
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日本 |
在 庫
数
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限定1品 |
コメント
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【海軍士官短剣用刀(「皇國興廃在此一戦」の彫)について】
海軍士官短剣用として作られた剣身(短刀)で、戦前に水交社で販売されていた当時の品と思われる白鞘に入っています。 海軍士官短剣外装は付属していません。 刀身は古砥ぎですが美しい状態です。
全長(茎を含めた長さ):31.9cm
全長(白鞘を含めた長さ):36.2cm
刃渡り:22.7cm
反り: 0cm
銘文: 三笠砲鋼秀明(表)、昭和七年正月日(裏)
備考: 刀身切「皇國興廃在此一戦」
刃紋: 直刃
日露戦争では戦艦「三笠」は帝國海軍連合艦隊の旗艦でした。ロシアのバルチック艦隊を殲滅した「日本海々戦」の前年(明治37年)、「三笠」は「黄海々戦」で後部二連装主砲の一門を破壊されました。 この破壊された主砲残鉄を使って日本製鋼所室蘭工業所(現・室蘭製作所)瑞泉鍛刀所の堀井秀明一門が長剣と短剣の刀身を造りました。 それらは水交社(海軍士官の親睦団体)で販売され、本品はその内の一振りです。 昭和3-9年の間のみ作刀され、海軍士官の間で非常に好評でした。 東郷元帥の有名な言葉「皇國興廃在此一戦」が彫られた三笠刀を佩用することは戦前の海軍士官の間ではステータスとなりました。 その為日本製鋼所で数打ち品も作られました。 三笠の短剣は水交社では本品のように白鞘入りで販売され、購入者が海軍短剣拵えに入れました。
特徴は刀身(剣身)に「皇國興廃在此一戦」の文字が刻まれています。 「皇國興廃在此一戦」は東郷平八郎 が日本海海戦にあたり、当時世界最強といわれたロシアのバルチック艦隊を撃破するにあたって、全軍の士気を鼓舞する為に掲げた言葉「皇國ノ興廢此ノ一戰ニ在リ、各員一層奮勵努力セヨ」を漢詩にしたものの一部です。
日露戦争時の1905年5月27日-28日にかけて行われた日本海海戦の際、連合艦隊司令長官の東郷平八郎は、トラファルガー海戦の信号文「英国は各員がその義務を尽くすことを期待する」に倣い、「皇國ノ興廢此ノ一戰ニ在リ、各員一層奮勵努力セヨ」という意味を持たせたZ旗を旗艦「三笠」のマストに掲揚しました。日本海海戦の逸話以降、日本海軍ではZ旗は特別な意味を持ちました。 また一般にも危急存亡をかけた事柄の開始の際などに〈Z旗が上がった〉と称するようになりました。
東郷平八郎は「皇國興廃在此一戦 各員一層奮励努力」と書いた書を多く残していますが、「皇國興廃在此一戦」の部分だけでも有名で、三笠公園内の記念艦「三笠」の手前、東郷平八郎の銅像の隣に建てられている記念碑にも「皇國興廃在此一戦」を刻んだ碑があります。
元帥海軍大将東郷平八郎
海軍軍人。薩摩生。名は実良。維新後英国に留学。日清戦争に浪速艦長として出撃、豊島沖、黄海、威海衛海戦で武功をあげた他、日露戦争では連合艦隊司令長官として日本海海戦等を指揮。バルチック艦隊を撃滅した。昭和9年(1934)歿、88歳。
【その他の情報】
平成12年9月19日に神奈川県教育委員会により交付された銃砲刀剣類登録証が付属致します。 種別は「短刀」 、長さ22.7cm、反り0.0cm、目くぎ穴1個、銘文は(表)「三笠砲鋼秀明」、(裏)「昭和七年正月日」、備考に刀身切「皇國興廃在此一戦」と記載されています。
オリジナルの軍装品は文章では表現の難しい傷がある場合があります。 通信販売でご購入される際は、下記の画像を十分ご確認いただいた上でご注文ください。
詳細画像(Detailed Photos)はこちら
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