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ブリティッシュ・コントラクト グリーン カービン (無可動古式銃、マサチューセッツ・アームズ社製)  
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価格(税込)
 \1,430,000
商品番号
 【6756】
英  名
 British Contract Greene Carbine by Massachusetts Arms Co.
種  類
 古式銃(無可動) 、単発、無可動実銃買取品 2019年 冬、長野倉庫在庫品
国  名
 アメリカ合衆国 / イギリス
時  代
 第一次大戦前(〜1914)
全  長
 879mm (実測)
口  径
 .54in.
装 弾 数
 単発
在 庫 数
 非公開
画像について
 画像は現物です。
コメント
 【ブリティッシュ・コントラクト グリーン カービンについて】
グリーン カービンは米国南北戦争前の1850年代に発明された管打式.54口径の後装式騎兵銃です。 南北戦争開戦前に米国陸軍から200挺の注文が入りオハイオ第6騎兵隊によって試験装備されましたが、構造が複雑過ぎて採用には至りませんでした。 その後英国政府から約2,000挺の注文が入り量産体制に入りました。本品はこの英国軍用(ブリティッシュ・コントラクト)モデルです。
グリーン カービンのアクションはマサチューセッツ州リン(Lynn)で1828年5月12日に生まれたケンブリッジ(Cambridge)出身の陸軍大佐であったJames Durrell Greeneのパテントを使用しています。
J. D. Greeneは当初West Point陸軍士官学校を目指しましたが、母親の反対にあい1853年にハーバード大学でMaster of Arts degreeを得て卒業しました。 地元のケンブリッジ民兵連隊で1860年までに大尉まで昇進し、マサチューセッツ第4義勇民兵連隊で中佐に昇進、1861年5-6月まではマサチューセッツ第5義勇民兵連隊在籍しました。 南北戦争中の1861年6月から1863年9月までは米陸軍正規軍の第17歩兵連隊に勤務しました。 1863年9月に陸軍大佐に昇進してから1867年6月に陸軍を退役しました。 
J. D. Greeneは最初の後装式のパテントであるUS Patent #10,391を1854年1月3日に、グリーン カービンのパテントになるUS Patent #11,157を1854年6月27日に取得しています。 J. D. Greeneは南北戦争で使用された米軍最初のボルト・アクション 小銃であるグリーン 歩兵銃の設計者としても有名です。 このグリーン カービンとグリーン 歩兵銃は設計者が同じだけで全く別物です。
グリーン カービンのパテントは有名な歩兵銃に比べ遥かに特殊な構造となっています。 幅の広いトリガー・ガードの中に前後二本のトリガーがあります。 後方は撃発機能と連動した実際のトリガーで、前方のトリガーは銃身の回転を解除する(銃身のロック・ピンを下方へ引く)レバーになっています。 このレバーを右手で引き、左手で銃身中央部の18角形のグリップ部分を左方向に90°回転(22インチの米軍用は反対方向に回転)させると銃身後部(薬室)の両サイドに出た二つの大きな突起(ツイン・ラグ=twin-lug)が本体前方の更に大きく丈夫な噛み合わせ部分から開放され、前方に3cm弱ほど引き出せます。 これによって銃身とレシーバー本体が分離(下方のヒンジで繋がっていますが)し、銃身を反対側(右側)にまた90°回転させると本体に対して銃身が右側に倒れ薬室後部が開放された状態になります。 ここから薬室に紙薬莢またはリネン薬莢の実包を装填し、銃身を先程の手順で元に戻し銃身と本体を結合させる際に本体前面中心部に太く短い注射針のような突起(ニップルに近い形状と構造ですが先端が尖っています)が薬室に装填された実包の底を突き破り、内部が空洞になったチューブ状の突起の先が装薬の中に入ります。 通常の管打式と同じようにサイド・プレート上部にあるニップルに被せた雷管を打撃することで発生する火花がニップルからレシーバー本体内部を通り前方の注射針のような突起先端から放出されます。 この火花が紙またはリネンの実包内部の装薬に着火して弾を発射します。 グリーン カービンはニップルに通常の雷管を被せる事も可能ですが、本体右側面(ハンマーの前)にあるDr. Edward Maynardが開発したメイナード式の紙テープ雷管システム(Maynard mechanical tape priming system)を使いハンマーと紙テープ雷管を送るギアが連動し、ハンマーを起こすごとにニップルの上に一発分のテープに入った雷管が置かれ、トリガーを引くだけでニップルから火花が先述の針状の突起の中を通って薬室内の装薬に着火します。 このメイナード式紙テープ雷管システムは1855年より各種の米陸軍小火器で使用されていました。 1854年12月24日にJ. D. Greeneは米国兵器庁(US Ordnance Department)でデモストレーションを行い、賛否両論はありましたが1855年5月23日(1856年説もあり)に米陸軍よりフィールド・トライアル用に300挺の注文を得ました。 22インチ銃身のカービンが1856年から1858年まで300挺の内170挺がオハイオ第6騎兵隊によってトライアル用に配備されました。 しかしながらシャープス 小銃などの従来からあった騎兵銃の方が信頼性が高く採用は見送られました。 グリーン後装式は機構的には非常に優れた構造ですが、南北戦争開戦前にはまだ一部の騎兵隊ではシンプルな前装式パーカション(管打式)を使用していたので、この当時としては先進的な構造が仇となって、複雑な構造のグリーン カービンは騎兵隊に受け入れませんでした。 米国政府に売り込んでいたのと同時に英国政府にも売り込んでおり、製造を担当していたMassachusetts州のChicopee FallsにあったMassachusetts Arms Co. はロバート・アダムスやロンドン アーモリー会社などの英国銃砲産業と深い繋がりがあり、クリミア戦争(1853-1856年2月)が勃発したのを機に英国政府から18インチ銃身のカービンを2,000挺注文が入りました。
英国コントラクトのグリーン カービンは1858年まで納品出来ずクリミア戦争での実戦には間に合いませんでした。 英国に到着したグリーン カービンは適切な弾薬が開発されるまでは英国陸軍倉庫内(ロンドン塔と言われています)で保管されていました。 一部が南アフリカのCape Mounted Riflemen部隊(=South African colonial yeomanry battalion)に試験的に配備されましたが銃本体の改良点もありませんでした。 その大きな理由は弾薬の底辺が薄くセンシティブ過ぎ、また発火性が高く世界中の紛争地で英軍が使用する弾薬としては危険過ぎました。 取扱いに注意しなければならない弾薬を過酷な長距離輸送をするのは大きなリスクでした。 1867年の英軍後装薬式小銃選定でスナイダーとの競争に敗れたウエストリー・リチャーズ 小銃やカリシアー・テリー小銃の軍への売り込み競争も激しく、スナイダー 騎兵銃を装備出来なかった多くの部隊が英国製の上記の後装式騎兵銃を採用しました。 英国内にあった約200挺が民間に販売され残りは廃棄処分される予定でした。しかしながらその中の一部は米国南北戦争勃発により米国に再輸出された品もありました。 現存するグリーン カービンは大きく分けて4つの歴史があります。一つ目は米軍用として製造された品(これらは銃身が22インチと長く他の部分も特徴的でした)、二つ目は英軍用として米国で製造されましたが何かの理由で輸出されず米国に残った品(これらは英軍用と同じ王冠にVR刻印が入っています)、三つ目は英国に輸出され長年保管された後に英軍より民間に払い下げられ民間の手に渡った後に米国の南北戦争勃発で民間会社によって輸出された品。 これらには民間に払い下げられた事を表わす「Sの刻印と向かい合った2本のブロードアローの刻印」が打たれています。 四つ目は同じく英国に輸出されて長年保管された後に解体処分される予定の品が南北戦争の勃発によって再度英国政府から米国政府に正式に再輸出された品です。 正式に南北戦争戦争で北軍で使用された品で米軍のUSの刻印がバットストックやバット・プレートに刻印されています)に分けられます。 War Department ordnanceの公式な文章では1862年に英国で保管されていた200挺の内、40挺が試験用に使われ、残りの1,960挺は1862年に改良された実包と共に南アフリカのCape Mounted Riflemenに配備されました。
通常騎兵銃はサドル・リングと呼ばれる乗馬部隊専用のスリング環をレシーバー左側面に装備していましたが、グリーン カービンは騎兵銃としては珍しくローアー・タング(バット・ストック下方)にサドル・リングと同じ大きさの環を装備していました。 全てのグリーン カービンにはパッチ・ボックスと呼ばれる雷管などを入れる収納スペースをバット・ストック右側面に付けており、米軍用は真鍮製、英軍用は鉄製でした。 薬室より約10cm前方の銃身とレシーバー本体を回転結合する中部との間にコルト社の銃身を留めるウェッジと同じ作りのものがあり、これを左から右へ抜くことによって前部(銃身)と後部(バット・ストックを含む機関部本体)が分離します。 リアサイトは南北戦争時に多用されたシンプルなフリップ式ではなく、600ヤード迄のラダー・サイトが付いています。
ブリティッシュ・コントラクト グリーン カービンはその辿って来た歴史と独特の構造から多くの刻印が打たれている非常に興味深い品です。 総生産数が約3,200挺と軍用銃としては量産されたとは言えない少ないもので、現存数が非常に少ない貴重な品です。

【本個体の説明】
製造数の少なさや、米国と英国両国で使用された経緯から現存数が非常に少ない品で、本品はその中でも気になるダメージが全くない、当時のオリジナル仕上げを残したオリジナル度の高い品です。 ハンドガードは装備されず、木部はバット・ストックだけで僅かに使用された形跡が認められるだけで目立つ傷が殆どない完全品です。 銃身、機関部を含む金属部分は表面的な時代錆は一部認められますが、一部にオリジナルのブルー仕上げも残った時代相応の美しい状態です。 ハンドガードの代わりに常に手に触れる18角形の鉄製グリップ部分に僅かに朽ち込み錆が見られますが、これはハンドガードを持たない本銃の仕方のない特徴です。
サイド・プレート後部には銃の製造会社である「MASS. ARMS CO / CHICOPEE FALLS / U.S.A. 1856」の刻印が入っています。 その右横に英国政府の所有物を表す王冠にV. x R.の刻印が入っています。 メイナード・システムの蓋の表面には「MAYNARD’s PATENT / CER. SEP. 22. 1845」の刻印が入っています。 レシーバー本体から伸びるアッパー・タングにはこのアクションのパテントである「GREENE’s PATENT / JUNE 27, 1854」レシーバー本体前方下部 にシリアル No.が、そして銃身(薬室)後部と銃身中間部下方、銃身後部にある突起(ツイン・ラグ=twin-lug)にもマッチしたシリアル No.が入っています。更に薬室の上部に5/王冠/ A / 2と王冠 / A / 5の刻印、パッチ・ボックスの蓋に王冠/ A / 5、レシーバー本体上部に王冠 / A / 5が入っています。「王冠」は英軍検査官刻印、「A」は米国製のA、「5」は検査官番号です。 銃身上リア・サイトの直前に王冠/SGの刻印が入っています。 トリガー・ガード後部に王冠とブロード・アローの刻印が入っています。 バット・ストック右側面のパッチ・ボックスの手前(銃身側)に「1」の刻印が入っています。この「1」は「1st Quality」を意味とされていますが定かではありません。銃身の左側面(リア・サイトの左横)に民間に払い下げられた事を表わす「Sの刻印と向かい合った2本のブロードアローの刻印」が打たれています。
国内に無可動実銃として輸入されている唯一の品です。 ハンマーのテンションはありませんがトリガー・テンションはあります。 メイナード式紙テープ雷管システムの蓋の開閉、パッチ・ボックスの蓋の開閉、銃身の回転、リア・サイトの作動、どれもスムーズに作動します。(MM)

【その他の情報】

無可動実銃には文章では表現の難しい傷がある場合がございます。 通信販売でご購入される際は、下記の詳細画像 (Detailed Photos) を十分ご確認いただいた上でご注文ください。

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