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価格(税込)
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SOLD OUT |
商品番号
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【5763】 |
英 名
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Type 38 Infantry Rifle |
種 類
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ボルト・アクション、無可動実銃買取品 2018年 春 |
国 名
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日本 |
時 代
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第一次大戦〜第二次大戦 |
全 長
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1,276mm |
口 径
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6,5mm×50 |
装 弾
数
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5発 |
在 庫
数
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SOLD OUT |
画像について
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画像は現物です。 |
コメント
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【三八式歩兵銃 について】
三八式歩兵銃は日露戦争後の明治38年 (西暦1905年、皇紀2565年) に日本陸軍が制式採用した小銃です。
製造は東京砲兵工廠で行われ、三十五年式海軍銃と三十年式をベースにして、主任設計には南部麒次郎大尉 (後に南部式自動拳銃と十四年式拳銃を開発) が担当しました。 機構的には殆ど完成されていた三十年式小銃でしたが、中国大陸での厳しい自然環境の中でいくつかの欠点が見つかり、三十五年式海軍銃の特徴 (遊底覆など) も取り入れて、明治38年に改良型が制式となりました。 以来日本軍の主力小銃となり日本の小銃の代名詞ともなり、九九式小銃と共に終戦まで使用されました。 6,5mm弾は威力的に力不足でしたが、機能的には信頼性が高く前線兵士の間でも好評だったようです。 日本海軍の陸戦隊も使用していましたが、海軍部内では単に三八式小銃と称していました。 海外ではType-38 Arisaka Rifleと呼ばれています (実際は有坂成章陸軍大佐が開発に関与したのは三十年式歩兵銃まで)。 満州をはじめ中国大陸の戦線で使用してみると、大陸特有の細かい砂塵が機関部内に入り込み作動不良を起こし、対応として遊底覆いを追加する事になりました。
戦前にはイギリス、フィンランド、メキシコ等、数ヵ国にわたり輸出されました。 また中国で武装解除された部隊が使用した相当数の旧日本軍小火器は、戦後中国軍によって使用されました。
三八式歩兵銃は1941年(昭和16年)までに約340万挺が生産されました。 また、バリエーションとして三八式騎銃、九七式狙撃銃、三八式改狙撃銃も生産されました。
【本個体の説明】
本品の機関部左側面には77055のシリアルNo.の他、名古屋造兵廠を示す刻印が入っています。 本品には遊底覆が取り付けられており、 薬室上部の三八式の刻印は確認できなくなっています。 菊花紋章については完全に削り落とされています。 本品の照星は両側面にガードが付いた後期型で、床尾板は初期のフラット型 (一枚板)、リア・サイトも初期のVノッチ型、安全子 (セーフティ) はノブに窪みのある後期型となっています。
本品は全体にやや使用感が見受けられ、金属部表面には若干の表面錆や朽ち込み痕が見受けられますが、目立った破損や変形等は見受けられず、比較的しっかりとした状態が保たれています。 木製銃床についても全体に打ち傷が見受けられ、バット・ストック下部等に若干の欠けが見受けられますが、大きな破損等は見受けられず、全体としては比較的しっかりとした状態が保たれています。 銃床左側面に長さ12cm程のやや深い線傷が見受けられますが、強度的にはほとんど影響のないレベルです。 バット・ストック上下の継ぎ目はやや隙間が見られますが、大きなガタつきなどはみられません。 バット・プレートの取り付け部周辺にやや木部のやせが見られますが、バット・プレートの取り付け自体はガタつきもなくしっかりとしています。 フロント・サイト・ガード部分に若干の歪みが見受けられます。 本品は安全子下部と機関部後部の間に溶接加工痕が見られます。 照尺の起倒及び調整操作については問題なく行う事が可能です。 弾倉バネ及び弾受け (マガジン・フォロワー) は入っています。 弾倉底板の着脱はかなり固くなっています。 さく杖は付属しておりません。
トリガーテンションのある、ボルトが閉じた状態で固定された旧加工品です。 大阪店在庫品 (KK)
【その他の情報】
無可動実銃には文章では表現の難しい傷がある場合があります。 通信販売でご購入される際は、下記の詳細画像(Detail Photos)を十分ご確認頂いた上でご注文下さい。
詳細画像はこちら
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