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US M1861 ブライズバーグ ニーダム・コンバージョン 歩兵銃 (無可動古式銃、#1275) |
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価格(税込)
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\770,000 |
商品番号
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【5270】 |
英 名
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US M1861 Bridesburg Needham Conversion Infantry Rifle |
種 類
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古式銃(無可動) 、単発、一品物、長野倉庫在庫品 |
国 名
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アメリカ合衆国 |
時 代
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第一次大戦前(〜1914) |
全 長
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1,420mm |
口 径
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.58 in. |
装 弾
数
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単発 |
在 庫
数
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非公開 |
画像について
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画像は現物です。 |
コメント
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【M1861 ブライズバーグ ニーダム・コンバージョン 歩兵銃について】
1865年に終結した南北戦争は一つの戦争で短期間でこれまでにない小火器の構造の変化をもたらしました。 1860年代はヨーロッパの諸国にとっても主要小銃の改革が二つの全く異なった方向で行われました。 一つはアメリカ、イギリス、オーストリアに代表する前装式マスケットを後装式に改造して再利用した方法。 もう一つは全く新しい後装式ライフルを開発したドイツ、フランスでした。 その後前装式マスケットを後装式に改造したイギリスでもマルティニ・アクションを、オーストリアはヴェルンドル・アクションでした。 それからアメリカでは1892年にクラグ・ヨルゲンセン ライフルを採用するまで、前装式を後装式に改造したモデルを元に進化させたトラップドアを約30年間も使用し続けることになりました。
南北戦争終結後に膨大な数の時代遅れ前装式を抱えた米軍では早急な後装式への交換が必要になりました。 米陸軍のトライアルでは新しく開発された画期的なローリング・ブロックやピーボディ・アクションを抑えて採用されたのはトラップドア・アクションでした。 このトラップドア・アクションを発明したのはスプリングフィールド造兵廠兵器主任(Springfield Master Armorer)のE. S. アリン(Erskine S. Allin) は米陸軍トライアルでは常に優位な立場に立っていたからだと考えられます。 ただ膨大な数の前装式から後装式への改造(コンバージョン)は新型小銃の採用よりも当時は現実的だったとも言えます。 しかしながらコンバージョンはアリン式以外に検討事項としての選択肢として残ったのはロンドンに住む英国人のジョセフとジョージ・ニーダム兄弟(J & G
Needham)の開発したニーダム・コンバージョン・システムだけでした。 彼らは1865年に英国でパテントを取得し、1867年5月には米国のパテントも取得しています。
南北戦争での北側の主役「US M1861 マスケット」。 南北戦争が勃発した頃(1861年)、ペンシルバニア州フィラデルフィアのBridesburg Machine Works社はウールやコットンの捏練機(Wool miling machine)を製造する会社として成功を収めていました。 経営者であったAlfred Jenksとその息子のBartonは軍需が拡大するのを見越して、すぐに小火器製造業も兼ねる為に新しい巨大な工場を建設しました。 開戦から2年後の1863年には150人もの工員を抱え月産約5,000丁もの北軍の主力小銃であるM1861 マスケットを合衆国政府に納品するまでになりました。南北戦争終結と同時に工場を閉鎖しましたが、それまでに約10万丁のライフルを北軍に供給しました。 Bridesburg Machine Works社は北軍の主力小銃であった.58口径のM1861 マスケットとM1863 マスケットを主に製造しました。
M1861 マスケットはリアサイトの形状は異なりますが、ほぼ同じ構造の南軍主力小銃である英国製のP1857 マスケットに対抗出来る戦争初期の最新小銃でした。どちらも .58口径のミニエー弾を使用する前方装式の40 in.の銃身を持った3バンドの歩兵銃で、二枚式(1枚は射程500ヤード、もう一枚は300ヤード、両方を使用しない場合は100ヤード)のリーフ型リア・サイトを装備していたのがラダー・サイト(起倒式)を装備したP1857 マスケットとの違いでした。 M1861 マスケットは主にスプリングフィールド造兵廠で生産されたのでUS スプリングフィールド M1861 マスケット、またはUS スプリングフィールド M1863 ライフル(施条)マスケットと呼ばれています。 南北戦争終結時にはすでに旧式化したBridesburg Machine Works社製のM1861若しくはM1863 ライフル(施条)マスケットにニーダム・コンバージョン・システムを付けた品がブライズバーグ・ニーダム・コンバージョン ライフルです。
ブライズバーグ・ニーダム コンバージョン ライフルは米国、英国、アイルランド、カナダ(当時は英国領)の4ヶ国が政治的に関係する大きな事件が発端となって開発された特殊な歴史的背景があります。
19世紀から20世紀にかけてアイルランドの独立と共和国樹立に傾注した米国内の友愛団体であるフェニアン団(Fenian)が1866年(カンポベロ島襲撃、ナイアガラ襲撃、ピジョンヒル襲撃など)と1870年(ミシスコイ郡襲撃)に越境攻撃(カナダにあるイギリス軍の砦、税関などへの襲撃とカナダを人質に取り、イギリスにアイルランド独立を認めさせる目的)の際に使用したのがBridesburg Machine Works社製のM1861またはM1863 マスケットです。 前装式のブライデスバーグ マスケットを主装備して当時イギリスの自治領であったカナダに米国のニューヨーク州から1866年に三回の武装団が侵入して追い返される事件が発生しました。 この年の襲撃ではカナダ側(英植民地軍)は前装式のP1857 マスケットを装備しており、フェニアン団の武装は同等でした。 しかし1870年にも再度挑戦した際には後装式のスナイドル ライフルを装備したカナダ英植民地軍に対して前装式マスケットは全く歯が立たないことを認識しました。
米国ニュージャージー州トレントン(Trenton)のフェニアン団支援者が場所を提供した銃砲店が英国人のガンスミスを雇っており、その伝手で英国のニーダム・コンバージョン・システムを用いて約5,000挺の前装式のブライデスバーグ マスケットを後装式への改造を行いました。 このM1861またはM1863 マスケットの中には極少数のコネチカット州ノーウィッチにあったM1861 マスケットの製造会社であったノーウィッチ・アームズ社(Norwich Arms Co.)製とM1861 マスケットの主要生産を行ったスプリングフィールド造兵廠(Springfield Armory)製の品も含まれていましたが全てブライデスバーグ・コンバージョン・ライフルと呼ばれています。 後装式のブライデスバーグ・コンバージョン・ライフルを装備したフェニアン団が1870年5月に米国バーモント州からカナダに侵入した際にはカナダ軍は事前にその情報を得ており、同等の武器(ブライデスバーグ・コンバージョン・ライフル)を手にしたのにもフェニアン団は完全に敗北して米国に押し戻され合衆国陸軍に武装解除されました。 その際に使用した銃に加えこの事件に使用されなかったニュージャージー州トレントンにあった全てのブライデスバーグ・コンバージョン・ライフルは米国政府に押収されました。 それらの銃は米国政府によって競売にかけられ、その殆どが1860年代から19世紀末まで米国最大の武器サープラス商社であるSchuyler, Hartley & Graham社によって買い求められて米国の複数の準軍事団体/民間武装組織(Militia)に販売されて使用されました。
本品はサイド・プレートに1862の製造年、そして製造会社であるBRIDESBURGの刻印と米陸軍軍用銃の印であるイーグルの紋章が入っているModel of 1861です。 ブライズバーグ・ニーダム コンバージョンに改造する前は南北戦争で使用されました。(MM)
【本個体の説明】
右側面にブリーチ・ブロックが開く非常に珍しいコンバージョン・モデルで国内には2挺しか輸入されていない品の1挺です。 銃身及び機関部、サイド・プレートなど鉄部はオリジナルの状態で、表面的な時代錆はありますが古式銃では十分許容範囲内のとても良い程度で自然な感じです。 伝統的な米軍用銃独特のアメリカン・ウォルナット製の美しいストックは多少経年使用の小傷はあるものの、オリジナルの仕上げが完全に残っています。 ストックのフォア・エンド下部の見えにくい場所に一部当時の荒れがありますが時代が経っているので殆ど気になりません。 唯一の欠点はストックがリア・バレル・バンドの下で再度継ぐ事を前提に一度切断されている事です。 現在は綺麗に継いであり、継ぎ目がリア・バレル・バンドの下に隠れているので外部からは継いだ跡は見えません。 これは歴史的背景によるもので、近年の所有者による切断ではありません。 この箇所はバンドで隠れるため戦利品として持ち帰られる時に、この部分で切断し全長を短くしてダッフル・バッグ等に入れても外見からは銃見えません。 その為米国ではダッフル・バッグ・カットと呼ばれています。 この継ぎ仕事は丁寧な補修によって完全に仕上げられているので強度的にも問題はありません。 ストックの左側面(サイド・ロックの反対側)にはCartoucheと呼ばれる検査官刻印もはっきりと確認出来ます。 サイド・ロックの後方に「1862」の製造年を表す年号が、中央には米軍用の鷲の刻印、 そしてその右下に「BRIDESBURG」の刻印が入っています。 バット・プレートの上部に米軍用を表す「US」の刻印が入っています。 さく杖は付属していません。 トリガー・テンションは無くハンマーとの連動していません。 しかしハンマーにはスプリング・テンションはありませんが前後に動きます。 また独特のサイド・スウィンギング・ブリーチ・ブロックの内部(外からは見えない部分)は削除されていますが、ハンマーを起こしてブリーチ・ブロックを開閉する事は可能です。 (MM)
【その他の情報】
無可動実銃には文章では表現の難しい傷がある場合がございます。 通信販売でご購入される際は、下記の詳細画像 (Detailed Photos) を十分ご確認いただいた上でご注文ください。
詳細画像(Detailed Photos)はこちら
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