|
|
|
|
|
|
|
▲クリックで拡大画像をご覧いただけます。 Copyright© Chicago Regimentals Co. , Ltd. All Rights Reserved. |
価格(税込)
|
SOLD OUT |
商品番号
|
【4516】 |
英 名
|
Siamese Arisaka Type 66 Rifle |
種 類
|
ボルト・アクション、一品物、無可動実銃買取品 2016年 冬 、ガゼット Vol. 16 |
国 名
|
タイ / 日本 |
時 代
|
第一次大戦〜第二次大戦 |
全 長
|
1,247mm |
口 径
|
8x52R |
装 弾
数
|
5発 |
在 庫
数
|
SOLD OUT |
画像について
|
画像は現物です。 |
コメント
|
【シャム 66式小銃について】
シャム王国の新国王 のラーマ6世(Vajiravudh王)が父親の ラーマ5世(Chulalongkorn王)の跡を継いだ後 シャム軍制式弾として新しい8x52R弾を2466年(タイ仏暦=西暦1923年)に導入をしました。 ラーマ6世は英国で教育を受けたので当初は.303口径のSMLE小銃の導入を望みました(実際に国王直属の精鋭部隊様に1万丁のSMLE小銃を英国から国王個人が購入しています) 。 国王の参謀たちの反対(三八式歩兵銃型小銃の方がSMLE小銃より安価であった為)があり.303口径小銃の導入は断念しました。 一説によると第一次大戦後の英国には余剰小銃が大量にあったにも拘らず、インドシナ半島で唯一独立国のシャム王国が最新小銃を装備できないようにSMLE小銃の価格を高く設定したと言われています。 反対に日本は第一次大戦後で兵器生産数が大いに減少しており兵器廠の稼働率維持の為にも輸出に力を入れなければならない時期でもありました。 日本の武器貿易会社大手三社(三井物産、大倉組、高田商会)の国策共同組合である泰平組合から三八式歩兵銃の引き合いがあり、三八式歩兵銃を新しい8x52R弾を使用できるように再設計する方が経済的となり、1923年に5万丁の8mm口径の三八式歩兵銃型小銃を日本に注文しました。 1923年は仏暦(タイの仏暦)2466年にあたるのでType 66と呼ばれています。
外見は三八式歩兵銃とほぼ同じですが、機関部が6.5mm弾より大型のリムド8x52R弾を使用するため大きく(上下に幅広く)なり、分解してみると固定一体型弾倉の形状が三八式歩兵銃とは全く違う銃のように異なっています。 外見の一番の違いはリア・サイトが三八式歩兵銃のラダー・サイトに対して66式小銃はタンジェント・サイトになっています。 またフロント&センターバンドを留めるのはバネではなく右側面からのネジ留めになっています。 三十年式型銃剣(剣先は両刃)を装着できるように、三八式歩兵銃と同じような着剣装置が付いています。 しかし銃身外径が異なる(口径がかなり違うので)、銃剣の互換性はありませんでした。 1923年に二種類(46/66式小銃と66式小銃)の小銃が制式になりましたが、口径だけが同じで形状/構造も銃剣も全て異なりました。 因みにシャム 46/66式小銃はヨーロッパ・スタイル(ドイツ風)のマンリッカー型銃剣で、66式小銃は柄は三十年式で鞘はヨーロッパ型です。 英語での文献を見ると三八式歩兵銃と66式小銃の部品はネジ山のピッチも異なり、ネジ1本も一切互換性が無いように書かれていますが、シアなどの一部の部品は三八式と全く同じです(区別はつきません)。 バット・ストックが約1cm、銃身も約2cm短く、全長が1,275mmあった三八式歩兵銃に対し1,245mmと全体で3cmほどタイ人の体格に合わせ短めになっています。(その当時日本人とタイ人の体格差はあったのでしょうか?) フロント・サイトは直接銃身に取り付けられています(三八式はサイトの基部がリングになって銃身前部から取付ています)。 「菊の御紋章」はなく代わりに「Sudarshana」と呼ばれるシャムの紋章が入っています。 その下にタイ(シャム)語で文字(モデル名?)が入っています。 比べて見なければ気が付きにくいことですが、レシーバー後部右側面のボルト閉鎖状態時にボルト・ハンドルの後ろにあたる部分がかなり低く(極端に言うと無いように見えます)なっています。
関東大震災(1923年)で東京砲兵工廠小石川工場が被害を受けたため、小倉工廠に於いて生産されることになりました。 5万丁の注文に対してタイ軍への納入は5年もの歳月がかかりました。 日本製だけあって作りはよく、戦前の旧軍小銃のようです。 ストックはタイ国製と思われる、材質が日本製とは異なります(バット・ストックが二分割型ではありません)。 目の詰まった上質の日本製の木部とは異なり木目の荒いのが特徴です。 遊底覆は三八式と同じような形状のものを使用しますが本個体には付属していません。 戦後多くの旧日本軍の小銃は米軍によって持ち帰られて米国に多数残っていますが、66式小銃の殆どは現地(タイ)に残され極僅かな数が英連邦軍によって主に英国に持ち帰られました。 タイ国に残った66式小銃の多くは戦後僅かな期間使用された後に廃棄されたため66式小銃の現存数は旧軍の小銃に比べて遥かに少ないものとなっています。
日本製小銃のバリエーションとしていかがでしょうか? 国内には殆ど入荷していない一丁です。
【本個体の説明】
本個体の機関部左側面にはシリアル No.と思われるタイ語の刻印が打たれており、薬室上部にはチャクラムの紋章とその周り半分にタイ語の刻印が打たれています。 また薬室左側面には使用弾薬を示す「8MM SIAM」の刻印が見られます。 金属部は、一部にコンディションの差はありますが全体的に表面処理が美しく残っており、雰囲気の良い印象です。 特に機関部はオリジナルの雰囲気を良く残しており、銃身も銃口付近に若干の表面錆が見受けられますがやはり表面処理がしっかりと残っています。 バンドが部分的な朽ち込み錆によってほんの僅か欠けてしまっていますが色味は落ち着いています。 白磨き仕上げのバット・プレートは全体的に表面的な時代錆が付いていますが、欠点というような印象は受けません。 オリジナル仕上げが残っている木部は全体的に旧軍用に比べて若干赤茶色が強い色合いになっていますが旧軍の銃と並べても違和感はありません。 ハンド・ガード後部の穴ニ個の間に筋が入っています。 ハンド・ガードはストックに比べるとやや暗めとなっていますが、色味の差に大きな違和感はありません。 ストックとハンドガードには小傷が各所に散見されますが、経年による木部の痩せは殆ど感じられず、しっとりとした良い状態です。 細かな割れが銃床下面前部に2ヶ所見受けられますが、強度的な心配はありません。 またバットストック後部下方(バット・プレートと接している下側)に僅かな欠けがあります。 バットストックの両サイドには木材の質による」荒れが見られますが、これは元々のものです。 ハンド・ガードのリア・サイト近くに割れの補修跡が見られますが、丁寧に補修されており一見した程度では分かりづらい状態です。 リアサイト・リーフはスムーズに動作し、ねじ込み式のさく杖が付属します。
総合的に見て状態が良く、希少性がある品ですので、シャム王国(タイ王国)の兵器や20世紀初頭のボルト・アクション、日本製の銃器にご興味がある方に是非お勧めしたい一挺です。 トリガー・テンションのある、ボルトが閉じた状態で固定された旧加工品です。 大阪店在庫品。(YS)(MM)
シャム王国の日本製小銃に関する弊社ブログ記事 (Part1 Part2 Part3)
【その他の情報】
無可動実銃には文章では表現の難しい傷がある場合があります。 通信販売でご購入される際は、下記の詳細画像(Detailed Photos)を十分ご確認頂いた上でご注文下さい。
詳細画像(Detailed Photos)はこちら
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
| |